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大会の歴史

本大会は福岡県飯塚市から佐賀県武雄市までの100km間を参加者約300人が制限時間24時間で歩く大会として始まった。年齢層は幅広く主に10代から80代までの老若男女が参加している。
 
この100km間は、長崎街道と呼ばれる歴史的に古く文化往来の道でありいたるところに史跡が存在する。江戸時代では象がこの道を通り江戸まで運ばれたとの伝えやシーボルト、幕末には坂本龍馬をはじめ幕末の志士たちなどが通った道である。
 
また文化的には砂糖が運ばれたことから別名シュガーロードと呼ばれ沿線には老舗の菓子屋が多く存在する。本大会の魅力は、そのような歴史情緒を持つルートをかつては古人たちが歩いたように歩くことができる大会である。
 
その飯塚-武雄100kmウォークが今年2025年、飯塚-小倉100kmウォークとして、生まれ変わる。
 
本大会の発足は、行橋別府100kmウォーク3回 1位,佐世保島原ウルトラウォーク105km9回1位(内7連勝)の記録を持つ本大会の実行委員長 千代田が、長崎街道を練習ルートとしていたことから、100kmウォーク愛好家たちに、この歴史情緒のある長崎街道で大会を発足してほしいという要望により由来する。
 
100kmウォーク愛好家の要望を受け、練習会を重ねた後、100kmウォーク実行委員会が2014年春に発足し、2014年9月に第1回が行われた。
しかし、2016年9月の第3回大会では台風のため中止となり、2017年9月大会でも同じく台風のため中止となりかけ、大会自体の存続も危ぶまれた。
 
その大会存続の危機に、多くの参加希望者や関係者からの熱望する声が絶たず、実行委員会はその後押しを受け11月に順延し開催することができた。順延にも関わらず60%の180人の方たちが参加し、自治体や多くの協力者が本大会の開催に賛同していただいた。
その第3回の開会式では飯塚市市長,ゴールでは武雄市市長が激励と称賛,大会開催ができたことについてのご挨拶をいただいた。

また、西九州新幹線の開業の年である令和4年の100kmウォークは、いつもとコースを逆転し、武雄スタート飯塚ゴールの100kmウォークであった。歩いて歩いてその後に、冷水峠を越えなくてはならない武雄スタートのコースはウォーカーたちを苦しめたのは言うまでもない。

令和4年の第9回大会スタート前 武雄市役所にて

100kmウォークは練習なしでは完歩できない。地道な練習が必要である。しかし毎日すこしずつ距離を継続することによって完歩達成に繋がる。また食生活改善や肥満などの生活習慣病に対しての改善を行うことも大切であり、これらの意識づくりに繋がる。

車や乗り物社会である現代では歩行するきっかけが少なくなってきている。このことから参加するための練習は健康へのきっかけづくりとなる。定年後の参加者も多く、定年後の健康づくりのきっかけとなったという声も多い。
本大会は100kmウォークの大会としては、完歩率も79%と高いのが特徴である。

ウォーキングはランニングよりも負荷が少なく手軽にはじめることができる運動として着目されている。このことから高齢者のみならず幅広い年齢層の運動として需要がある。しかし其の手軽さゆえに、目的が定まらないと継続する動機につながりにくいということがある。

車や電車ですぐに行ける距離を歩速度で巡ることで普段見逃してしまう光景に出会うことができる。

日が沈み、日が昇る長崎街道を歩く中で、古人はここで休みを取ったのだろうか?幕末志士はどんな希望を持って歩いたのだろうかなど、往時を偲びながら、一歩一歩踏みしめて体験することができる。

この体験を多くの方に味わっていただきたい。大会スタッフ一同、あなたの挑戦を心からお待ちしています。

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